うつ病ラボbyサティセラピー

本当の自分を取り戻し、自分を活かす方法

プロフィール②【機能不全家族:幼少期~小学生】

 

yamihime-selfhelp.hatenablog.com


我が家は父と母、2歳年下の妹との4人暮らしでした。

父は現場監督、母は専業主婦時々パートに出ていました。父は今でいう発達障害だったのだと思いますが、当時は今ほど発達障害の情報がなく、父が少しおかしいことに私も母も気づきませんでした。

 

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父の特徴を挙げると

 

・人とうまくコミュニケーションが取れない

・順序立てて言葉を発することができない

・すぐに混乱、興奮状態になる

・いつも動きがバタバタしている

・アルコール依存症

・家族に対してすぐに暴力を振るう

・真面目で几帳面すぎる、こだわりが強い、融通がきかない

 

  

そして母の特徴は

 

・共依存体質(父のお世話をすることが生きがい)

・ヒステリー気味で、言葉で人をひどく罵る

・二面性がある

・浮き沈みが激しい

 

 

子どもの頃は、自分の家族が他の家族と違っていると言うことには気づきませんでした。10年くらい前に“機能不全家族”“アダルトチルドレン”という言葉を知って、我が家に当てはまると気づくことができました。

 

 

父は仕事を終えて帰宅すると、飲酒をするのですが、

些細な家族の言葉にキレて大暴れすることがよくありました。

 

父はキレると、母を殴り飛ばしたり蹴ったり、物を投げつけたりしていました。食事中にキレると、私たち姉妹は食事ができなくなってしまいます。ブレーカーを落として家の中を暗闇にし、家具を荒らし、母を風呂場に引きずって殴るので、私たち姉妹は部屋の隅で丸くなって泣きながら、父の暴力がおさまるのを待つしかありませんでした。

 

うちは四畳半一間と、六畳一間の2Kのアパートだったので、狭い家の中で父が暴れるのは本当に苦痛でした。

 

母はいつか殺されてしまうのではないか?誰か助けにきてくれないのか?自分の大事なものはすべて父に壊され、汚されてしまうのではないか?そんな思いがいつも幼い心の中にもありました。

 

父がキレると、大体一週間は父の帰宅後にブレーカーを落とされるか、母と私たち姉妹は外に出されてしまいます。父は19時ごろ帰宅してくるので、そうなれば父が眠るまでの間、普通に食事をすることも入浴することも、ゆっくりくつろぐこともできません。

 

外に出された場合は、2~3時間外で時間を潰しました。公園で遊ぶことが多かったです。母は父が寝ただろう時間になると、帰ろうというのですが、私は父のいる家には帰りたくありませんでした。

 

私の中では家に帰らず、母の実家に逃げるとか(母の実家は極近所だった)、そのまま公園で眠ったら警察官か誰かに助けてもらえるのではないか、などと考えていましたが、

 

母は、我が家の状況を誰にも知られないように隠していました。自分の親兄弟や、公的機関にも…

 

私はそれが本当に嫌でした。

 

誰かに我が家の状況に気づいてほしい、そして助けてほしい、そんな気持ちでいっぱいでした。

 

 

母は、父の不在時はよく私に暴力を振るいました。父から受ける暴力などのストレスを私で発散しているようでした。

 

私が大事にしていたぬいぐるみや、祖母からもらった髪飾りをめちゃくちゃに壊してから捨ててしまったり、ハタキであざができるほど殴られもしました。

 

私が逃げるので、足をつかんで引っ張り、腿をハタキで何度も叩くのですが、いくらあざができても、洋服を着ていたら見えない場所なので、誰からも気づいてもらえませんでした。

 

そして私は妹をいじめることでストレスを発散させていました。

 

妹が私に助けを求めてきたり甘えてくると、無性にむかついていました。まとわりついてくる妹に、あっちに行って!と怒鳴ったり、突飛ばしたりしました。

 

幼稚園の時から中学生まで、妹がまとわりついてくることを受け付けられませんでした。

 

私は虐待をされる側の気持ちも、する側の気持ちもすごくわかります。

 

あの、自分が自分でなくなってしまうような感覚は今でもよく覚えています。いじめや虐待は幸せに育った子は絶対にしません。

 

そして、皆のはけ口になってしまった妹はどうなったか?

それはまたあとに出てきます。

 

 

 

そんな家庭に育ったからか、私の生まれ持った気性のせいか、幼少期から小学生まで変わった子だったと思います。あまり協調性もなく、お友だちと仲良く過ごせません。

 

好きなことと言えば、‟儀式ごっこ”。近所の裏山の人気が少ないところにお祈りする場所を作って、お花などを供えて手を合わせるのが好きだったのです。

 

あとは絵を描いたり、お話を作って書いたり、妄想したり…一人でいることの方が好きだったように思います。

 

 

 

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