うつ病ラボbyサティセラピー

本当の自分を取り戻し、自分を活かす方法

プロフィール⑥【パニック障害発症】

“家族の介護”

それは言葉だけでは語りつくせない苦労と苦悩が、介護者にのしかかります。

 

 

 

自分も人間、一緒に介護する家族も人間、介護される方も人間…

 

それぞれ価値観は違いますから、何をするにしてもスムーズには進みません。また病院や施設の対応に傷つくこともあります。

 

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許せないのは親ではなく、自分

私は子供の頃から、酒を飲んで暴力を振ったり大声を上げたり物を壊したりする父が大嫌いでした。でも父は精神的に弱かったと思うし、病んでいたからだと思います。

 

 

私が幼い頃、ブレーカーを落として真っ暗な中で、父が台所の床にマヨネーズを塗って食パンを敷き詰めていたことがありました。幼い私は、父のそうした奇行を度々目にし、その度に父に近寄りがたさを感じていました。

 

 

どうしたらお父さんは治るの?

私は何もできないの?

私がいなきゃいいのかな?

私は生まれてこなければよかった?

 

 

私は幼いながらに、父の苦悩を感じ取って自分の無力さを嘆いていました。だから本当のことを言えば、お父さんが嫌いだったのではなくて、役立たずの自分が一番嫌だったのかもしれません。

 

本当はお父さんを愛していて、自分を見てほしかったから、お父さんを憎く思っていたのかもしれません。

 

 

 

 

介護に対する家族間での温度差

父が脳卒中で痴呆になり、父の男として、父としてのプライドが無くなり、素直に辛さを私に伝えてくれるようになると、私はもう以前のように父を恨む気持ちが無くなっていました。

 

脳卒中で身体が不自由になった父と、一緒に歩く練習をし、話す練習をし、食事を介助し、そんな中で私は、父とのわだかまりが解けていくのが分かりました。

 

でも私は一つ後悔があります。

 

私は積極的に父の看病や介護に携わり、父との関係が修復できたけれど、妹は違いました。私と妹には、介護に対する温度差がありました。

 

妹は私と父が介護の中で和やかになればなるほど恨めしそうに私たちを見ていました。すごく嫌味を言うこともあったし、羨ましがることもありました。

 

私は妹を置き去りにしたまま、自分の気持ちだけで動いていました。

 

 

 

結局在宅介護は留まる

父は脳卒中で始めに搬送された病院からしばらくすると、リハビリ専門の病院に移りました。その後、自宅介護か老人保健施設に入所するか、という選択になって、私は自宅介護を強く望みました。父がとても自宅に戻りたがっていたので…

 

けれど母と妹は自宅介護を望まず、父は施設に入所することが決まりました。

 

父が倒れてから一年近くが経とうとしていました。

父が施設に入り、私は父が倒れる前の元の生活に戻りました。また実家を出て自分のアパートに戻り、休職していた仕事も再開しました。

 

 

 

パニック障害発症

だけどその後、急に過呼吸になって電車に乗れなくなってしまったのです。だから仕事に行くのも一苦労。通勤時は満員電車のため、何度も途中下車して休まなければいけなくなってしまいました。

 

遂に全く外に出られなくなり、太陽の光の刺激でも気分が悪くなるようになり、カーテンを開けられなくもなりました。また音にも過敏になってしまい、常に頭の中がうるさくて仕方ないのです。

 

外出ができず、近くのスーパーで菓子パンだけ買って引きこもる生活になっていきました。不眠も続くようになり、辛くて、近くの心療内科を受診すると、パニック障害と重度のうつ病だと診断されました。